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(1)国土
面積約189.08万平方キロメートル(日本の約5倍)。約18,000の島々からなる世界最大の島嶼国家。東西約5,110キロメートル(米国の東西両海岸間の距離に匹敵)、南北約1,888キロメートル(赤道を挟む)に及ぶ。
(2)人口、種族
約2.38億人(2010年)。中国、インド、米国に次いで世界第4位の人口。大半がマレー系(ジャワ、スンダ等約300種族に大別される)。総人口の約6割が、全国土面積の約7%に過ぎないジャワ島に集中している。
(3)宗教
イスラム教88.1%、キリスト教9.3%、ヒンズー教1.8%ほか(宗教省(2010年))。世界最大のイスラム人口を有するが、イスラム教は国教ではない。
(4)国家政体
共和制の下、33州から構成。国家元首は大統領(大統領は、国家元首であると共に行政府の長でもある)。現大統領は、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領(二期目: 2009年~2014年)。
議会は、国民協議会(MPR)(憲法の制定及び改正、国民協議会決定の策定等)、国会(DPR)(立法機能、国家予算作成機能、政府に対する監視機 能)、及び地方代表議会(DPD)(地方自治等に関する法案の提言、審議への参加)がある。また、国会議員(560人)と地方代表議会議員 (132人)で構成される国民協議会(憲法の制定及び改正、大統領・副大統領の任期中の解任)がある。
(1)ユドヨノ大統領は、2004年の政権発足後、治安対策、汚職撲滅、投資環境整備等に積極的に取り組み、2009年4月の総選挙では同大統領の基盤政党である民主党が約20%の得票率で第3党から第1党に躍進。同年7月の大統領選挙では、ユドヨノ大統領が約60%の得票率で再選され、10月、ユドヨノ第2期政権が発足(インドネシアの憲法上、大統領の3選はなく、次期総選挙、大統領選挙は2014年となっている。)。
(2)2005年7月に鳥インフルエンザ感染による初のヒト死亡例が確認されており、2006年5月には、世界保健機関(WHO)は、北スマトラ州において「ヒトからヒトへ」の感染があった旨報告。WHOによれば、2012年3月12日までに感染例187件、うち死亡例155件が確認されている。
(1)インドネシア経済は、2009年には、世界金融・経済危機の影響を受けたものの、比較的高い4.6%を達成し、2010年は6.1%、2011年も6.5%という堅調な経済成長を達成。
(2)失業率は、2006年には10%を超えていたが、2011年8月には、6.56%まで低下(中央統計局統計)。ただし、毎年250万人が新規に労働市場に参入すると試算されており、それを吸収する雇用を創出するためには年率6%以上の経済成長が必要とされている。
(3)インドネシアの順調な経済成長を裏付けるように、2011年の外国直接投資(実現ベース)は前年比18.4%増の約200億ドルに達している。
(4)また、2011年5月、中長期的な経済政長を実現すべく、ユドヨノ大統領は、「経済開発加速・拡大マスタープラン(MP3EI)」を発表し、2025年には、世界の10大経済大国となる目標を掲げた。
(1)2002年10月12日、バリ島で爆弾テロ事件が発生(死者202名、負傷者300名以上。邦人2名が死亡し、複数名が負傷)。2002年11月、国家警察は、イスラム過激派組織「ジュマ・イスラミーヤ(JI)」の精神的指導者と言われるアブ・バカール・バアシールを逮捕(その後、2010年8月に再逮捕。)。また、国家警察本部は、バリ島爆弾事件の実行犯を含め、イマム・サムドラ、アムロジ等の容疑者を逮捕した。また、2003年3月、インテリジェンスの情報の裁判証拠としての採用、テロに関与した疑いのある人物の拘留(7日間)、テロ計画の犯罪化等を内容とする「テロ撲滅法」が成立した。
(2)その後も、2003年8月5日、ジャカルタの米系ホテル(マリオット・ホテル、死者12名、負傷者約150名)、2004年9月、ジャカルタの在インドネシア豪州大使館前(死者11名、負傷者約180名)、2005年10月1日夜、バリ島クタ地区及びジンバラン地区(死者23名、負傷者約140名)にても爆弾テロが発生。
(3)政府は国家警察内におけるテロ対策特殊部隊の設置(2003年10月)以降、テロリストの摘発・逮捕を行うなど取締りを継続(JI の首謀者アザハリ・フシン、ヌルディン・トップ、ドルマティン等の射殺。JIの臨時指導者であったザルカシ、軍事部門の長アブ・ドゥジャナ等の逮捕。)。 2008年4月にはJIを禁止団体とした。が、その後もしかしながら2009年7月に、JIによる犯行と見られる外資系ホテル(ジャカルタのマリオット・ホテル、リッツ・カールトン・ホテル)連続爆破テロ事件が発生し、(死者9名、負傷者約50人)。政府は2010年9月に大統領直轄の国家機関として国家テロ対策庁を設置し、テロ対策特殊部隊を国家警察長官直轄の執行部隊に改編し、国家テロ対策庁等関係機関との連携の強化を図ることとし、テロ対策に一層の力を入れる姿勢を示している。
なお、2011年9月には、中部ジャワ州ソロのキリスト教会において、自爆テロ事件が発生した(死者1名、負傷者20人以上)。
(イ)アチェにおいては、1976年以降約30年間にわたりインドネシアからの分離独立を目指す「独立アチェ運動(GAM)」と治安当局との間で衝突が続き、1998年のスハルト政権崩壊後、分離運動が活発化。
(ロ)ユドヨノ政権になって、スマトラ沖大地震・津波からの復興という共通の目標に向け、GAMと政府の間で和平の機運が高まり、2005年1月、フィンランドのアーティサリ元大統領の仲介によりGAMとインドネシア政府との間で和平協議を実施し、8月15日には合意内容をまとめた覚書(ヘルシンキ和平合意)に署名が行われ、2005年末までにGAM部隊の動員解除、武器供出、インドネシア側増派部隊の撤退が完了した。
(ハ)アチェにおける特別自治のベースとなるアチェ統治法は、2006年7月に国会で可決され、2007年に第1回目のアチェ州地方首長選挙、第2回目の地方首長選挙が2012年4月に実施された。
(イ)インドネシア独立(1945年)後も、西イリアンの帰属をめぐってオランダとインドネシアの間で対立が続く。現地では、インドネシアへの帰属を拒否し、独立を目指す住民が「自由パプア組織(OPM)」を結成し、60年代~70年代にかけて独立運動を展開。
(ロ)1962年に国連での米国主導の調停を経て、西イリアンの行政権はオランダからインドネシアに移譲され、1969年の「住民代表」による投票の結果、同11月、インドネシアへの帰属が確定。1973年、西イリアンは、イリアン・ジャヤ州へ改称。
(ハ)1999年10月、イリアン・ジャヤ州を3分割する「パプア分割法」が成立。その後、イリアン・ジャヤ州議会をはじめ反対意見が強まり、政府(ワヒッド政権)は同法の施行を無期延期とした。
(ニ)2002年1月、パプア州特別自治法が施行される。州名が「イリアン・ジャヤ州」から「パプア州」に変更。上記(ハ)のパプア分割法との関係を巡って混乱が生じた。
(ホ)2003年1月、メガワティ大統領(当時)は、無期延期とされていた「パプア分割法」の実施促進を指示する大統領令を発出。パプア州分割の有効性に関する議論が再燃。同年2月、「西イリアン・ジャヤ州」の発足式が平穏に開催された一方で、8月、「中部イリアン・ジャヤ州」の発足に際し、分割賛成派及び反対派の住民の衝突が発生し、政府はパプア分割法の実施を延期。
(ヘ)2004年4月5日、西イリアン・ジャヤ州とパプア州(未分割の中部イリアン・ジャヤ州を含む)において総選挙が実施され、両州の州議会議員及び4名ずつの地方代表議会(DPD)議員が選出された。同年11月、パプア州政府が憲法裁判所に訴えていた西イリアン・ジャヤ州の合法性につき、同裁判所はパプア分割法を違憲とする一方、既に州政府等の統治体制が整っていることから、西イリアン・ジャヤ州についてはその存在を認めるという判決を下した。2007年4月、西イリアン・ジャヤ州の名称が「西パプア州」に変更。
(ト)パプア州及び西パプア州における分離独立を求める声は依然として続いており、プンチャック・ジャヤ県及びミミカ県周辺ではOPM(パプア分離独立運動グループ)と見られる武装集団が治安当局等を襲撃する事案が散発的に発生している。特にミミカ県においては、米国系鉱山企業フリーポート社との労使争議も続いており、独立派住民が関与しているとも言われる衝突等が治安当局との間で散発的に発生。2011年10月にはジャヤプラで「パプア・コングレス」が数千人の参加を得て開催され、「西パプア連邦」の独立を宣言し、独自の国旗を掲揚したため、治安当局に強制排除され、死傷者が発生した。
(イ)2006年11月、ユドヨノ大統領訪日時、「平和で繁栄する未来へ向けての戦略的パートナーシップ」に安倍総理(当時)と署名。地域及び世界の平和と安定のために協力することで一致した。
(ロ)2011年6月、ユドヨノ大統領が訪日した際には、菅総理(当時)と外務大臣間の閣僚級戦略的対話、閣僚級経済協議、防衛大臣間の協議という3つの閣僚級の対話を定期的に実施することで一致した。また、ユドヨノ大統領は、訪日に際し、被災地(気仙沼市)を訪問し、被災住民を激励した。
(ハ)外務大臣間の閣僚級戦略対話は、2011年2月に前原大臣(当時)、同年7月に松本大臣(当時)、同年10月に玄葉大臣がいずれもマルティ外相と実施した。同年11月にマルティ外相がホノルルAPECの途次に本邦に立ち寄った際にも、玄葉大臣と懇談している。
2010年10月、関係閣僚(日本側:前原大臣(当時)、大畠経産大臣(当時)、馬淵国交大臣(当時)、藤村厚労副大臣(当時)、インドネシア側:ハッタ経済担当調整大臣、マリ商業大臣(当時)、ヒダヤット工業大臣、ダルウィン・鉱物・エネルギー資源大臣(当時)、ギタ投資調整庁長官(当時))により、第1回閣僚級経済協議を実施した。
(イ)貿易
(a)非石油・ガス部門だけでも、インドネシアにとって日本は輸出入の両面で最大の貿易国の一つであり、経済連携協定(EPA)も発効済み(下記 (ハ)参照)。2011年のインドネシアの対日輸出は2兆7,160億円、対日輸入は1兆4,123億円(財務省貿易統計)であり、日本の大幅な輸入超。
(b)日本のインドネシアからの主な輸入品は、石油・液化天然ガス、石炭、鉱物資源、エビ、パルプ、繊維及び繊維製品、一般機械、電気機器等。他方、日本からインドネシアへの主な輸出品は、一般機械及び部品、プラスチック等化学製品、鉄鋼、電気機器、電子部品、輸送機械及び自動車部品。
(c)インドネシアは日本にとって重要なエネルギー供給国。
(注)日本のエネルギー輸入に占めるインドネシアの割合(2011年財務省貿易統計)
石炭:20%(第2位)、液化天然ガス:12%(第4位)
(d)インドネシアは、中東の石油、豪州の食料品などの産品を日本に運ぶ重要なルートに位置しており、日本の輸入石油の約9割がマラッカ海峡を通過している。
(ロ)投資
(a)日本からインドネシアへの民間直接投資については、2011年は実現ベースで15.2億ドル(前年比217増)で、第2位であった。(投資調整庁)
(b)これらの直接投資により設立されたインドネシアにおける日系企業は約1,300社近くに上る。
(c)2010年12月、「首都圏投資促進特別地域(MPA)」の協力覚書に署名し、両国で協力して投資環境整備、インフラ整備を行うことで一致し、2011年3月に第1回運営委員会、同年9月に第2回運営委員会を開催した。
(ハ)日インドネシア経済連携協定(EPA)
日インドネシアEPAについては、2005年6月のユドヨノ大統領訪日の際に正式交渉立上げを決定。2007年8月の安倍総理(当時)のインドネシア訪問時に首脳間で署名、2008年7月1日に発効。これまでに鉄鋼及び自動車等の貿易額増に寄与している。また、本EPAによる看護師、介護福祉士候補者を日本として初めて受け入れている。
日本は長年に亘りインドネシアに対する最大の政府開発援助(ODA)供与国。2010年の援助実績は、有償資金協力438.8億円、無償資金協力37.3億円(以上、交換公文ベース)、技術協力85.9億円(JICA経費実績ベース)。(参照:在インドネシア日本国大使館ホームページ
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