平成21年5月
イラク人サッカー選手のジャハル・アムラン。かなりのサッカー通でもこの選手の名前を知っている人は少ないと思います。ただし、「ドーハの悲劇」で日本相手に2点目のヘディングゴールを決めた人と言えば多くの人はご存じでしょう。そう、1993年のW杯最終予選最終戦で日本がイラク相手に2-2の引き分けに終わった「あの試合」です。
あれから16年、その後、イラクを取り巻く環境も、我が国とイラクの二国関係も大きく変わりました。あのゴールを決めた「あの選手」はどこでどうしているのだろう?そんな好奇心から「あの選手」を、3月某日、大使館に招いて懇談しました。
まだ現役選手のような引き締まった体のアムラン。現在はバグダッドのクラブチームでジュニアのコーチをしているとのことです。「あの試合」の印象を尋ねると、「我々も必死であった。」代表チームは試合に負ければ当時のイラクサッカー協会会長のウダイ・フセイン(サダム・フセインの長男)により、馬小屋のような「代表チーム専用」の収容所に送り込まれて過酷な日々を過ごすなど厳罰が下されたそうです。
平和への願いは人一倍強い。バグダッド郊外の自宅は2003年に多国籍軍の空爆により破壊され、また、あの同点ゴールをセンタリングでアシストしてくれた選手は昨年、テロリストに暗殺された。
「もう政治は懲り懲りだ、平和のために役立ちたい。イラクの将来を担う子供を育てたい。戦後復興を経験した日本から多くのことを学んでいきたい。私はあのゴールで日本人の間で評判が悪いかもしれないが、スポーツと政治を一緒にしないでほしい。イラク人は日本人のことを心底尊敬しており、今ほど日本の皆さんからの支援を必要としているときはない。もし、私が日本人の間で知られているのであれば、是非、そのようなメッセージを日本国民の皆様に伝えていただきたい。」
「はい、必ず伝えます。」

アムラン選手と当館館員