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伊勢谷 修(団長) 秋田県 会社員 |
一昔前に、「テレビも無え、ラジオも無え、自動車もそれほど走って無え~」という曲がヒットしたことを覚えているでしょうか?
この曲はあくまでも最低限の生活ができる環境にいる人が発するセリフです。ここタンザニアでは、安全な生活をするためのインフラがまだまだ不足しています。最も基本的である「水」に関して言えば、日本ではいつでもどこでも飲むことができます。タンザニアではそのようにいきません。都市部はもとより地方でも、清潔で安全な水を飲むことが困難です。日本に住んでいる私達とは前提条件が全く異なっています。
このような国タンザニアに、日本のODAの実施状況を確認すべく視察をしてきました。今回は、事務局が用意した8つのODA案件に対してです。各案件について、現地の関係者や援助を受けている人達、日本の関係者などと話す機会を持つことができました。皆一様に日本のODAの意義を説明してくれました。特に印象的だったのは、「ムナジモジャ病院での青年海外協力隊活動現場」の案件で、協力隊の某氏が「援助を通じて、僕が援助されている」との発言でした。その言葉を聞いた時にはよく理解できなかったのですが、日本に帰ってきて、自分の中で援助に対する考え方が変化した今はよく理解できます。援助とは、他の人に対する行動だけではなく、自分に対する行動だと思います。決して自己満足のためにする行動とは違います。現地での最終日に、同じ事を視察メンバーの中の方や日本大使館の方が言っていました。きっと視察のメンバー全員の共通認識でしょう。
今回の視察を通じて見聞きしたこと、体験したこと、感じたことを、一人でも多くの日本の方に知らせることがいかに大事なことかを痛感しています。日本のODAは、タンザニアを含めたくさんの国々で役立っており、かの国々の人たちが巡り巡って日本贔屓になっている面を強調したいと思っています。 |
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原 朋弘(副団長) 愛知県 高校生 |
タンザニアで最も印象に残っているのは、出会った人たちの顔である。やってきたことに誇りを持っている日本の方の顔。夢と希望に溢れた孤児院の生徒の顔。水道局の人のヤル気に充ちた顔。喜びと感謝の笑顔でいっぱいのバンビ地区の方の顔。生き生きと仕事をする魚市場の人の顔・・・。
そんな素敵な顔を見られたのは、日本の援助が、現地のニーズに本当に合い現地の人と一丸となって発展のために取り組まれているからではないだろうか。だからこそ地元の人も全力で、自分たちの力で援助を生かしていこうとしているし、自然にこんないい顔が生まれてくるのだろう。
援助・開発に携わる人からは、数々の熱い思いが感じとれた。それは、人々の生活を第一に考え、常に何が必要かを考えているからだと思う。以前は誤解していたが、援助は決してものをポンと与えるものではなく、現地で人と人とが、考えて考えて行っていくものであった。考えを一方的に押し付けるようなことではなく、日本の方が現地に溶け込み、現地の人と一丸となってやっているものに思える。だからこそ細かいところにも数々の配慮がされていたし、本当に必要なものを援助できているのだろう。
嬉しかったのは、ザンジバルで日本の援助とは関係のないホテルマンと話していた時、彼から「僕たちはみんなで協力して成長していける。でも、政府や援助に頼りすぎているとも思う。」という言葉が聞けたことだ。一緒に成長していくのだが最後は自立する。これこそ、援助の目指すものではないだろうか。
日本の報道や広報では、橋やダムなどの大きな援助ばかりが前面に出ているが、実際は草の根・人間の安全保障無償資金協力のように小規模だが生活に直結する援助もされているということをもっと多くの人に知ってもらいたい。
日本の援助が、日本人が、遠いアフリカの一国で、笑顔や夢、希望を創っていることを。 |
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近藤 那子(副団長) 福岡県 高校生 |
ODAという言葉は学校の社会の授業で初めて習った。その後、本やニュースで勉強したが、自分の目で見て私なりの意見を持ちたいと思ってこの視察に参加した。
現地に行って一番感じたことは、ODAに関わる日本人の方がとても真剣にタンザニアの人を思って働いていらっしゃるということだった。当たり前のことなのだが、現場では結局人と人がいて協力しあっているということを日本にいるだけでは気づけなかった。ODAのようにいくら規模が大きいものでも、一番末端の現場では私が部活で行うボランティアと根本的には変わらないことが行なわれているのだと知った。
また、私は日本の援助がどのように現地の人に手渡されていくのかを見たいと思っていた。案件に関わるタンザニア人と話すと、彼らは援助を受けた後、自分達自身で活用する意欲があり、私達モニターに対しても誇りを持って話して下さった。孤児院では、日本人もタンザニア人の先生方も同じように生徒達を見守る目であったし、エイズ対策において日本から受けた道具を使って働いているのは現地の看護婦さんであった。村の水委員会では給水施設を良い状態に保つ努力を続けていた。
どの案件でも、心からの笑顔で、感謝していると言って下さった。彼らの言葉は、日本の“人々”へ向けられていた。日本人ひとりひとりがそれを認識してほしいと強く思う。また、道路建設をなさっている日本人の方は、自分の仕事が人のためになっている自信があるとおっしゃった。私達は日本の活動にもっと誇りを持って良いのではないか。もちろん改善点もあるのであろうが、視察を通して素晴らしい日本の貢献が確かに存在することを知った。そして、人と人の関係と同じで、国と国の間であっても他を助けることが最終的には日本の将来を支えるということを忘れてはいけないと思う。 |
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上野 豪 広島県 大学生 |
以前までどこか遠くの話だったODAであったが、今回モニターに参加したことでODAが身近になった。モニター参加以前はODAについて特に考えることもなく、「莫大な資金が海外支援に使われている」というようなイメージが頭の片隅に漠然とあるだけであった。
実際に案件を視察したことで、私のODAに対する認識は大きく変化した。視察先で住民の方々の話を聞き、日本の援助が現地で求められており、役立っているのだということを感じた。日本では当然のものとしてある舗装道路や安全な水、HIV/AIDSの検査・治療といったものが途上国ではまだまだ当たり前ではなく、今後もODAによる支援が必要だと思った。
しかし、今回視察した案件はあくまでODAの一部であり、税金から出ている莫大な予算が無駄なく活用されているのかどうか、また、どれだけの案件が現地のニーズに応えているのか、今回の視察だけで判断することは難しい。
ODAの支援は直接すぐには日本の利益には繋がらないかもしれない。しかし、5年10年50年という長いスパンで見たとき、被援助国と日本との関係はより良好になり、もし日本が何か困難に出くわした場合、支援してくれるかもしれない。多くの国々に対し長期的に支援をすることは、国家間での信頼関係の構築でもあると思う。国家間での助け合いが、ひいては日本・日本国民のためになり、世界平和へと繋がるのだと思う。
今回の視察を通し、政府開発援助と言っても結局は人と人との助け合いであり、それが世界平和やそれぞれの幸せに繋がるのではないかと思った。日本にいると途上国でのODAの状況や日本人の活動を知ることはほとんど出来ないが、現地では多くの日本人がそれぞれの思いのもと、活動しているということを知ることができた。無駄な面や悪い部分は改善していかなければならないだろうが、必要な支援を求める国に対しての自助努力支援は、先進国日本として今後も継続的に行っていくべきであると思う。 |
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中嶌 真理子 東京都 大学生 |
知らないことを知ること。あなたは自分自身の周りの物事を、始点から終点までの一つ一つのプロセスを考えてみたことがあるだろうか。
日本のODAにもまた始点と終点があり、人の手によって一つ一つ段階を踏む。
タンザニアの人々は一見幸福に見えた。しかしよくよく見ると教育の欠如や社会システムの不備などの弊害による不幸も同時に合わせ持っていた。それを外国が支援しようという考え方は画期的だ。それは何十年も、もしかしたら百年後効果を発揮することかも知れない。だがいつか日本の国益に繋がり、つまりはあなた自身の幸福に繋がる。
初めて過去のモニター報告書を読んだとき、これは一種の洗脳かと疑った。どのモニターも口を揃えてODAの必要性を謳い、途上国の人々は日本の支援に感謝していると書いていたからだ。それは、メディアから得ていた日本のODAの情報とは似ても似つかないものだった。
今回の一週間は恐らく幾面も側面のあるODAの、ある一面を見たにすぎない。それにも関わらず日本の支援現場における濃密な視察は私の理解のキャパシティーを軽々と超え、何をどう考えればいいのかがわからなくなってしまった。だが、今言えることは、「ODAは必要である」ということだ。
何故なら、タンザニアで出逢ったタンザニア人と日本人は瞳の奥の輝きが違ったからだ。本当に一生懸命な人は瞳の奥の輝きが違う。そこには自然とその人のしていることに対する誇りが滲み出る。それがタンザニアの地で私がこの目でとらえた真実だった。
ではなぜ彼らの懸命な努力は日本国民の目には歪曲して映ってしまうのだろう。
知らないことを知ること。ODAに対して自分のポケットマネーでは想像もできない莫大な日本国民のお金が使われていることに対する批判をするなら、その始点から終点までのプロセスを知らずして批判する資格はないだろう。
最後に、タンザニアがこれからもゆっくりと独自のペースで前に進んでゆくことを切望してやまない。 |
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久保 智美 徳島県 大学生 |
タンザニア。初めて聞く国名だった。そんな親しみの無い国にも、ODAの援助は確実に行われていた。
今回、8件の案件を視察して、すべてについて共通していると感じたのが、“相手の立場で考える”という部分だ。現地の人と一緒に考え何が必要なのか、理解を共有した上で行われているからこそ、無駄なものはなく、また、今後の自助努力へと繋がっていくのだと感じた。視察先では、すべての場所で温かく出迎えてくれ、私みたいな学生にも「ありがとう。」と何度もおっしゃってくださった。しかし、地元の方にそこまで思ってもらえる様な援助を行うまでには、少なからず様々な苦労があったと思う。現地の方と一緒に活動を行っている日本人の懸命な姿が印象に残っている。現在、日本でのODAの評判はあまり良くない。それどころか知らない人も多い。確かに、毎日たくさんのニュースが流れているが、海外に関するものは少ない。しかも限られた地域のみだ。しかし、活動を行っているのは日本である。私もそうだったが、自国のことについて知ろうとしていないだけなのではないだろうか。私達はあまりにも現状を知らなさ過ぎる。今回見てきたことがすべてではないことは自覚している。しかし、私が見てきた中でのODAの活動は決して批判できる様なものではなかった。自分の国が良ければ良いのではない。周りの国に目を向け、すべての人で幸せを分け合う。また、他国への援助を行いに行くことで人と人との繋がりができ、さらに、今まで見えなかった事にも気付き世界が広がって行く。将来の経済のためだけでなく、そういった事も含めての援助だということを意味しているという事を実感した。
今までとても遠かったタンザニアとODA。今回視察で色々と知っていくことでとても身近に感じる様になった。今後も知っていき、繋げて行きたいと思う。そして、たくさんの方に伝えていきたい。 |
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阪上 博明 大阪府 教員(中学校) |
ODA民間モニターとして、8案件を視察し日本がタンザニアに支援している一部分を見ることができました。また観光旅行では見られないタンザニアが直面している深刻な問題を見聞し、そこで従事している人たちと意見交換することが出来ました。
公民の教科書には、『日本のODAは、総額ではトップクラスになっています。この援助で生活がよくなった国々も多いのですが、援助がうまくいかずに無駄になることもありました。』(東京書籍P165)と記載されています。しかし今回の視察で私たちの税金はODAを通じて、確実にタンザニアの人々にとって役立つものとなっていることを感じました。地域の人々から、感謝の声が多く聞かれたのも嬉しいことです。
日本も戦後復興のためいろいろな様々な援助を受け、現在の様な先進国となっています。しかし地球上には多様な国があり、平和で且つ安全に暮せる事は人間として最低条件であることは忘れてはいけません。
私は今回、多くのプロジェクトを視察し、モノを作って提供する事も大切だが、人を指導し、その援助が終わったら、学んだことをタンザニア流に工夫、改善し、自立していくことも大切だと思いました。
景気が後退する中で、ODAの理解がなかなか得られず、予算がだんだん削られたので、現在、政府開発援助費は5位まで下がっています。その点ODA事業については、まだまだアピールが少ないと感じます。世界各地で行われているいろいろな事業や活動実績をテレビ等で紹介すれば、もっともっと身近なものになり、国民の理解も得やすいと感じます。
国民の代表として、教師として、見たり聞いたり感じたことを、自分なりの国際理解教育、国際協力のあり方を生徒に、またいろいろな人に正しく伝えていきたいです。それが今回ODAのモニターで得た者の務めだと思っています。 |
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太田 美穂子 千葉県 教員(小学校) |
貧困削減、経済発展のために大切なことは「持続可能であること」ということを今回の視察を通して強く感じた。それを一番感じたのは8つの案件のうち楽しみにしていた「水」の案件だった。今回視察した「水」に関する2つの案件は、成果を得ているように見られた。それは、維持管理ができるようにソフト面での支援がされていたからだ。金銭だけの支援ではなく、それと同時にシステムを作っていくための技術協力がその国を持続可能にしていくために必要だと感じた。
一方で、道路の案件で出会った方の「道路がないところに物はできない。」という言葉が頭から離れない。確かにインフラ整備は必要だ。しかし、物をつくることだけでは国は発展していかないのではないだろうか。ODAは金額が大切ではないと考える。その国が望んでいることに基づいた支援、ハードとソフト両方からのバランスのとれた支援を望みたい。
また、今回何人かの協力隊から「援助慣れ」の現実を聞いた。果たしてそれは国民性の問題なのであろうか。わずか8日間その国に滞在しただけの私にはわからない。ただ、ODAによる支援はもちろん必要だが、その国が発展していくためにはその国自身の自助努力が何より必要だと思う。日本にも言えることであるが、努力すれば報われるという社会のシステム作りが大切ではないだろうか。
残念なことに、このモニター視察の帰国後3日目にある国のODA贈賄事件が新聞で取り上げられた。どこの世界でも言えることだが、悪いことは早く広く知れ渡ってしまう。私が視察した案件で出会った方々は、遠いタンザニアという地で国際協力のために尽力していた。
その方々のためにも、もちろん私たちの血税を有効活用するためにも監視システム・外部による評価システムの強化を望みたい。 |
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池本 恭代 神奈川県 教員(中学校) |
『継続』と『システムの構築』。
この視察を通じて、私が考えた「今後のODAのあり方」である。
ODAは実際にどのように使われ、どのように現地の人々に受け入れられているのか。私はそれを自分の目で見るためにモニターに応募した。
今回の視察では「健全な成長のために寮や運動場を提供する」、「安全で清潔な水を提供する」、「HIV/AIDSに関する正しい知識を広める」など、実際にODAにより生活が改善された人々の「笑顔の見える援助」に触れることができたと思う。今後、ODAをより実のあるものにするためには、支援自体の継続、もしくは支援が継続するためのシステムを構築することが最も大切だと思った。同時にとても困難なことであると実感した。
しかし、私はタンザニアでその困難に立ち向かう多くの人々と出会った。何をするにも、やはり最後には「人の力」にかかっている。人の力と人の心、そして人のつながりが、継続的な支援とシステムの構築を支え、それに関わる人々の意欲や努力、タンザニアの人々を思う気持ちがODAの有効性を高めていると思う。「人の力ってすごい」そう思ったタンザニアの一週間だった。
また、今回の視察を通じて、物事を考える上での多くの視点を得ることができた。「当たり前すぎて気付かない」ことに気付いた。
私は当初、道路拡張や魚市場建設は生活者が望む援助だとはあまり思えなかったが、道路がなければ援助のための物さえ届けられないし、魚市場が整備されていなければ、安全な魚を食べられない。そんな当たり前のことには目がいかなかった。なぜなら、私達の生活に「道路がない生活」や「食べ物が家庭に持ち込まれる前に傷む」という前提がないからだ。
今回の視察で学んだことを生かし、自分自身、生徒自身が一人の国民として援助のあり方を考える契機にしたいと思う。 |
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小松 遼貴 北海道 高校生 |
「ODA事業は、ダム建設による住民の立ち退きなど、必ずしも地域住民のニーズに即したものとは限らない・・・」
共に書かれていたNGOや青年海外協力隊に比べてなんだか否定的な、そんな印象を受けたのが学校の教科書で最初に学んだODAだった。
そのせいで自分がODAに対して少しばかり懐疑心を持っていたのも事実で、今回は自分なりにそれを確かめたいというのが動機の1つだった。しかし「百聞は一見にしかず」というもので、資料だけではわからなかったであろう住民の生の声やODAの成功例の数々を目にすることができて大変嬉しく思った。
「援助慣れ」という途上国の甘えが問題視される中、今回視察した案件の多くでタンザニアの自助努力をしようとする姿が見てとれた。これは資金援助して終わり、というような社会的責任のためだけではなく、途上国の発展、そして自立を目標とする日本らしい、思いやりのある支援だと思う。
ODAというと、ただ日本の税金を資金協力として途上国に送っているだけのイメージが、特に中高生くらいには多いと思う。しかし、その末端では青年海外協力隊員の地域に溶け込んだ技術協力や、しっかりとした地域住民との話し合いの上での建設工事など、血の通った支援がなされていることをもっと多くの人に知ってもらいたいと思う。
最後に、タンザニアの子供達がとても生き生きしていたのが印象的であった。物が溢れて生きるのが楽に、便利になって、将来すらまともに考えない若者が増える日本に比べ、タンザニアの人達は生きるために真剣に将来を考えている。ODAの援助によって「生活すること」が楽になるのは勿論良いと思う。しかし「生きること」が楽になってしまうと人間は堕落してしまうのだと思う。
そのような事にならないよう、バランスを考えながらの支援がこの先必要だと思った。 |
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渡邉 翼 山形県 高校生 |
タンザニアは、私がモニター参加以前に思い描いていた「アフリカの開発途上国」とはかけ離れていた。首都は車が行き交い、建物もたくさんあった。しかし逆に印象的だったのは、少し首都を離れると、まさに私が想像していたような光景が広がっていることだった。著しく発展する首都と、それに追いつけない田舎の部分を両方見たとき、初めて「開発途上国」の実態を見た気がした。
今回ODAの現場を見て、分かったことがある。それは、日本は支援を受ける側の目線に立ち、きめ細かい援助をしているということだ。それ以前、私はODA関係のニュースを見ても、援助額の大きさに圧倒され、援助の内容や現場のニーズなどが目に入らなかった。しかし私は今回の視察で、援助額の大小は問題ではないと気づいた。一番大切なのは、現場のニーズに合わせ、日本らしい、日本ならではの支援を実行していくことだと感じた。
例えば、道路の建設である。日本の道路建設技術は、世界で見ても優れている。その得意技術を活かし、日本の企業がタンザニアの首都と地方を結ぶ道路を建設する。これが、日本ならではの支援である。そして、出来上がった道路は国民の交通手段に浸透し、首都の物資、人が移動することで、地方にも豊かさが広がっていく。これが、支援を受ける側の視点に立った、日本らしい支援である。
さらに驚いたのは、援助が考え抜かれたものであったことだ。どの事業も、「困っているから」という単純な理由で行われてはいなかった。なぜ・どのように困っていて、どんな援助が・どれほどの期間・何を対象に求められているか、本当によく考えられていた。これほど綿密なリサーチと計画がなされているからこそ、援助がタンザニアの人々に根付き、彼らのものになっていくのだと感じた。
私はタンザニアで出会った人からの「アサンテ(ありがとう)」を日本の人に届けたい。そして少しずつでも、これからの国際協力に貢献していきたいと思った。 |
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