
アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
最近のブータン情勢と日本・ブータン関係
平成23年10月
1.最近のブータン情勢
(1)内政
- 1990年代終わりから,ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王の主導の下,王制から立憲君主制への移行準備が進められた。国民議会の権限強化や国王に対する信任投票制度が導入され,国王自ら積極的に国内各地を巡幸し,民主化の重要性を国民に訴え,国家開発計画の策定に意欲的に取り組んだ。2001年11月には,最高裁長官,国会議員,政府の代表等39名の委員からなる憲法起草委員会が組織され,憲法策定作業が開始された。
- 2006年12月,ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王は退位を宣言し,ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク皇太子が第5代国王に即位した。民主化プロセスは,ジグミ・ケサル現国王(第5代国王)の下で継続され,本格的な議会制民主主義への移行が推進された。2007年12月には同国初となる上院選挙(一部は翌年1月実施)を,2008年3月には初の下院選挙を実施。同年4月,下院選挙において勝利したブータン調和党(DPT)のジグミ・ティンレイ党首が国王により首相に任命され,新内閣が発足した。同年5月に新国会が召集され,新憲法等の法案審議・採択を行い,同年7月にブータン初の憲法が施行された。同年11月,ジグミ・ケサル現国王の戴冠式が行われ,2011年10月には,ジグミ・ケサル国王とジツェン・ペマ王妃のご成婚の儀が行われた。
- 新憲法の下での地方選挙は,2011年5月24日に予定されていたが,政党からの離党手続きの不備により多数の選挙人資格剥奪問題が発生し,猶予期間を与えるため,同年6月27日に延期された。今次選挙では,16県議会(ティンプー県,チュカ県,サルパン県,サムドゥプ・ジョンカル県を除く),全国20県にまたがる205郡議会,欠員となっている地区長が選出された。
(2)外交
- 1949年,ブータンは,独立したインドとの間でそれまでブータンが英国との間で結んでいた条約を踏襲する条約を締結した。同条約第2条は,「インド政府はブータンへの内政不干渉を約する。ブータン政府は対外関係に関しインド政府の助言に基づき実施することに合意する」旨規定している。第3代国王の統治時代当初は,インドとの条約関係もあり二国間関係はインドのみに限定し,その他の対外関係も専らインドを介して処理してきた。しかし,1960年代に入るとこうした対外姿勢にも変化が生まれ,コロンボ・プラン(1962年)及び万国郵便連合(1969年)に加盟する等徐々に国際社会との接触を広げ,1971年には国連加盟を果たした。
1972年の第4代国王即位後は,非同盟諸国会議に加わる等非同盟外交を同国外交の基本方針とする姿勢を鮮明に打ち出すとともに,近隣諸国との関係強化を図りつつ,独立と主権の保全に腐心している。ブータンは1980年代に入るとバングラデシュ,ネパールをはじめとする近隣諸国のほか,西欧,日本等との間で国交を樹立(日本とは1986年に国交樹立)する等対外関係を拡大し,2001年には,豪州,シンガポールと,2003年にはカナダとも国交を樹立した。現在,25カ国及びEUとの間で外交関係を有している。(但し,国連安保理常任理事国とは外交関係を有していない)。また,ブータンは地域協力機構として1985年12月に発足したSAARC(南アジア地域協力連合)を重視し,その発展のため積極的な対応を行ってきている(ブータンは原加盟国)。2010年4月には,首都ティンプーにてSAARC首脳会合を開催。また,2004年4月にはACD(アジア協力対話)に加盟した他,2004年8月にはBIMSTEC(多面的技術経済協力のためのベンガル湾構想)に加盟した。
- 2007年2月には第5代国王が訪印し,改定印「ブ」平和友好条約に署名した。これにより,「ブータン政府は対外政策に関し印政府の助言に従う」とされていた条約第2条の文言が改定され,これに代わり相互協力関係の維持及び拡大を謳う文言に差し替えられた。また,ブータン政府による軍需品の輸入に関する条約第6条の改定の他,現状にそぐわない条約の規定が取り払われ,経済協力,教育,保健,文化,スポーツ及び科学技術の分野での協力関係の促進を謳った新たな規定に差し替えられた。
- ブータンにおける外交上の主要な懸案事項は,ネパール系ブータン難民問題である。1980年代,ブータン政府は,ゾンカ語の普及やブータン式の服(「ゴ」,「キラ」とよばれる)の公式の場での着用義務付け等国家のアイデンティティー強化のための施策を進めた。これに反発して,1990年秋,南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され,反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生した。1991年に入り事態は一応沈静化したものの,ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入した。2007年11月より第三国定住プロセスが開始され,2011年8月までに,約5万人の移住が完了した(内訳:米約4万2千人,カナダ約2400人,豪約2千人等)。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっている。キャンプ内には,約6万2千人の難民が残っており,このうち約4万7千人が第三国定住を希望している。2011年4月にティンレイ首相がネパールを訪問し,2003年から中断していた両国政府による難民帰還に関する協議再開に合意した。
(3)経済
-
1960年代以降の近代化政策の推進により,自給自足経済から市場経済への堅実な移行が進められており,GDP成長率は2002年―2008年(第9次五カ年計画,08年まで一年延長)で平均9%,2007年には,タラ水力発電所稼働開始に伴い18%の高成長を達成したが,2008年は4.7%,09年は6.7%,10年は7.4%であった。2010年のGDPは15.1億ドル,一人あたりGDPは2,139ドルを記録した。産業別のGDP構成比(2009年)は,電力セクター19.9%,農林業18.8%,建設12.6%,製造業8.4%,鉱工業2.3%,サービス業が39.8%となっている
-
2010年の貿易額は,輸出額293.24億ニュルタム(約6.29億ドル,輸入額390.84億ニュルタム(約8.38億ドル)であり,貿易収支は975.97万ニュルタムの赤字であった(09/10年度平均為替レート:1米ドル=46.65ニュルタム)。主要輸出相手国(2010年)は,第1位から順に,インド,香港,バングラデシュ,日本,ネパール主要輸入相手国(2010年)は,インド,韓国,タイ,シンガポール,日本となっている。主要輸出品目(2010年)は,電力,珪素鉄,鉄または非合金鋼,セメント等であり,全輸出品目の84%を占めている。主要輸入製品(2010年)は,軽油,ガソリン,金属製品,小型掘削機,石炭,米等であり,全輸入品目の30%を占める。
-
ブータンは,ほとんど全ての消費財や資本財をインド及び他国からの輸入に依存しているため,貿易収支は恒常的に赤字で推移し,1990年代後半以降,大規模な水力発電プロジェクトの推進によりこの傾向に拍車がかかった。インドからの大型水力発電プロジェクトが一段落した2007年は,経常収支が黒字に転じたが,2008年以降は再び赤字となっている。なお,インドとの輸出入が圧倒的なシェアを占める中で,インド・ルピー以外の外貨収入を得る手段として豊かな観光資源の開発も重要な課題となっている。
-
ブータンでは引き続き人口の7割が農村地域に居住し,小規模な地域自給自足型の労働集約的農業を中心とした農業に従事している。経済活動を行う労働力は全人口の68.6%(約47万8千人(2010年))である。
-
業種別・形態別では,農業が依然として労働力の59.4%を占める主要セクターとなっているほか,急速に拡大する労働市場において民間セクターが雇用機会を創出する重要なセクターとして現出してきている。失業率は3.3%(2010)であり,失業者全体に占める15歳~29歳の年齢層の割合は65.45%となっている。また,都市部においては,雇用機会を求める若者の増加を背景として,失業率は比較的高くなっている(5.1%,2010年)。
-
識字率は42.3%(2009年,人口15歳以上),初等教育就学率は88%(2008年)となっている。乳児死亡率は,40人/1,000人(2005)。
-
対外債務は1990年代後半以降増加傾向を強めており,2010年6月現在,840.7百万ドルとなっている。対GDP比率は,2008年には67%,2009年には70.3%,2010年には63.5%を記録した。ブータンの対外債務の特徴として,インドからのルピー建債務の割合が58.1%(2010年6月)を占めること,政府借入れの大半がODAローン(ソフト・ローン)であり,中長期の譲許的債務であること,商業借入はわずかであること(ドル建て債務の3.4%,2010年6月)等があげられる。
-
ブータンでは,通貨ニュルタムがインド・ルピーに連動(ニュルタム:ルピー=1:1)しているうえ,インドからの輸入が7~8割を占めることから,国内の物価がインドのインフレの影響を強く受ける性質がある。ブータンの消費者物価指数は,2008年の8.31%から2009年の4.41%に一旦下落したが,2010年は9.1%となった。
-
開発の原則として,国民総生産(GNP)に対置される概念として,国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)というユニークな概念を提唱している。経済成長の観点を過度に重視する考え方を見直し,(1)経済成長と開発,(2)文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興,(3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用,(4)よき統治の4つを柱として,国民の幸福に資する開発の重要性を唱えている。
(4)国防
-
ブータンは国防政策の柱として,国境保全,空港警備,治安維持以外にインドとの防衛協力関係維持を掲げており,ブータンの全国防予算をインドが負担している他,インドから資金・装備・訓練の支援を受ける等インドとは特殊な関係にある。また,ブータンには1個大隊規模(約700名)のインド陸軍将兵が常駐しており,主要なインド陸軍部隊として,インド軍事訓練チーム(IMTRAT)がティンプーに,軍事訓練学校と陸軍病院がハに所在している。また,パロにもインド軍駐屯地が存在し,夏季にはインド本国から派遣された部隊が山岳地訓練を行っている。将校の教育は全てインドで行われており,下士官・兵の教育も,IMTRATが管理運営するブータン内の軍学校で行われている。この他,部隊訓練もIMTRATの指導を受けている。さらに,ブータン軍は,年に3~4回,インド陸軍部隊と共同訓練を行っている。
-
山岳地形のブータンは意図的に部隊を中隊毎に分屯させており,そのほとんどは,ブータン・中国国境沿い及び重要防護施設の哨所に配置されている。各哨所には,インド陸軍兵士も5~6名ずつ配置されており,ブータン軍を指導している。
2.日本・ブータン関係
(1)概要
-
1986年の外交関係樹立以来,我が国とブータンとの関係は,皇室・王室間を含む要人の交流,経済協力等を通じて友好な関係を構築してきた。日本人とブータン人は,外見,性格とも非常に良く似ていることもあり,日本の関係者にはブータン・ファンが多い。ブータンは大の親日国であり,故西岡京治氏(コロンボ計画/海外技術協力事業団(現・国際協力機構(JICA)派遣専門家)以来の我が国経済協力に対しては,心からの感謝の言葉が絶えず聞かれる。
-
ブータンにとって我が国は重要なドナーであり,我が国にとってブータンは,国際機関での選挙・決議等において我が国を支持する重要な支援国である(安保理改革に関するG4枠組み決議案の共同提案国,国連人権委員会等)。
(2)要人の往来
-
1987年3月,徳仁親王殿下(当時,現皇太子殿下)がブータンを訪問され,ブータン国民の大歓迎を受けた。また1989年2月の大喪の礼及び1990年11月の即位の礼に際して元首たるジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王陛下が訪日された。1997年3月には,同国王の招待により文仁親王(秋篠宮)同妃両殿下が,ブータンとの国交樹立10周年を記念してブータンを公式訪問し,ブータン国民の大歓迎を受けた。2004年10月には,ドルジ・ワンモ第4代国王王妃陛下がご著書の日本語版出版記念のために訪日された。2011年2月,第2回「KYOTO地球環境の殿堂」表彰式に父君の第4代国王の名代として出席するため,チョデン・ケザン王妹殿下が同夫君とともに訪日した。また,同年7月には,アジア・オリンピック評議会総会出席のため,ブータン・オリンピック委員会会長であるジゲル・ウゲン王弟殿下が訪日した。
-
2005年6月に,河井外務大臣政務官がブータンを訪問し,ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王陛下を始め,首相兼通産相,外相,財相,内務・文化相と会談し,また,ティンレイ内務・文化大臣が愛・地球博ブータンナショナルデー出席のため来日した。同年10月には,外務省と日本ブータン友好協会との共催により,「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム2005」を東京において開催した。同シンポジウムでは,すべての国民の幸せを増加させることを国家の使命とする「国民総幸福量」(GNH)の概念について講演が行われた。
-
2006年1月にはノルブ財務大臣が訪日し,政府関係者等と意見交換を行った。また,4月にはわが国の招聘により,ドルジ国会議長が訪日し,その際に日本ブータン友好議員連盟(会長:町村信孝衆議院議員,幹事長:河井克行衆議院議員)の設立総会が行われた。また,同年8月に中野厚生労働副大臣がブータンを訪問した。06年は日本・ブータンの国交樹立20周年にあたり,両国関係を一層強化すべく,種々の文化行事が開催された。10月中旬にはティンレイ内務文化大臣が来日し,日・ブータン外交関係樹立20周年記念レセプションが行われ,同月下旬には日本ブータン友好議員連盟がブータンを訪問し,同地で開催された20周年記念レセプションに参加した。2007年3月には我が国の招聘により,トブゲ高等裁判所長官が訪日し,司法機関をはじめとする政府関係者等と意見交換を行った。同年12月には,アジア・太平洋水サミットに出席するためにドルジ首相が訪日した。2008年8月には,我が国の招聘により,ワンディ選挙管理委員会委員長が訪日し,政府関係者等と意見交換を行った。
-
2009年6月には,デンダップ警察副長官が訪日し,警察関係者と意見交換を行った他,同年8月及び2010年4月には,ティンレイ首相が非公式訪日を行い,麻生総理及び鳩山総理とそれぞれ会談した。また2010年4月には,西村外務大臣政務官が第16回南アジア地域連合(SAARC)首脳会議出席のため,ブータンを訪問し,11月には,生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)ハイレベル・セグメント出席のため,ギャムツォ農業大臣が訪日。2011年5月には,菊田外務大臣政務官がブータンを訪問し,ジグミ・ケサル国王陛下,ティンレイ首相,ケザン王妹殿下と会談した。同年9月には,ティンレイ首相が非公式訪日を行い,参議院賓客として訪日中のペンジョール上院議長一行とともに野田総理と会談したほか,ティンレイ首相及びペンジョール上院議長一行は,それぞれ同年9月に設立された日本国・ブータン王国友好議員連盟(会長:町村信孝衆議院議員,会長代行:松本剛明衆議院議員)役員と懇談した。
(3)日本の民主化支援
-
本格的な議会制民主主義への移行過程にあるブータンより,日本からの積極的支援の期待が表明されてきたことを受け,ブータン国営放送への支援,国会議長及び高等裁判所長官の訪日招聘,地方行政支援等を実施してきた。2007年11月には,ブータンにおける総選挙の公正かつ円滑な実施を支援するためにUNDPを通じて約107万ドルの緊急無償支援(遠隔地におけるTVセットの設置,仮設投票所の設置・オフィス機材供与,選挙・民主主義に関する番組作成等)を実施した。また,2008年3月に実施された下院選挙にあわせ,我が国は,在インド大使館公使を団長とする3名から構成される監視団を首都ティンプー及びプナカに派遣した。
(4)経済・経済協力関係
-
2010年の日ブータン間の貿易額は20億4400万円で,ブータンから日本への輸出額は2億7400万円,日本からの輸入額は17億7000万円あり,ブータンの輸入超過の状況にある。2010年において日本はブータンにとって第4位の輸出相手国,第5位の輸入相手国であった。対日輸出の主要品目は,生鮮・冷蔵野菜(まつたけ等),合金鉄等であり,対日輸入の主要品目は小型掘削機,自動車及び自動車関連部品ジェネレーター,放送機器,工事資材等となっている。
-
ブータンは貧困削減を最も重要な課題の一つとしており,日本は積極的に経済協力を行ってきている。対ブータン援助の歴史は,4半世紀にわたりブータンの農業開発に尽力してきた故西岡京治氏の派遣に始まり,無償資金協力と技術協力が中心となっている。1987年4月には両国間で青年海外協力隊派遣取極が署名され,翌年より隊員を派遣している。2010年には,68名の専門家,30名の調査団,52名の青年海外協力隊員,その他ボランティア23名を派遣した他,78人の研修員受入を行った。
-
無償資金協力については,1981年より,農業分野の重要性及び同国がLDCであること等を考慮し,農業機械化支援等の基礎インフラ整備等による経済基盤整備を中心に協力を実施。2010年度は,「第三次橋梁架け替え計画」,「救急車整備計画」「貧困農民支援」,「草の根・人間の安全保障無償資金協力」を実施した。
-
また,地方農村部の配電網を整備するため,2007年4月,ブータンへの初の円借款となる「地方電化計画」(約36億円)の供与に続き,2011年6月には「地方電化計画第2フェーズ」(約21.87億円)に関する交換公文の署名を行った。
(5)人・文化の交流
-
年間2万人以上の外国人観光客がブータンを訪問するが,2010年の日本人観光客は3,136人(全体の13.4%)であり,米国の4,786人(全体の20.4%)に次いで第2位であった。
-
2003年に初の総合大学が設立されたが,専門的な高等教育については依然として他国への留学が中心となっている。2010年,在籍するブータンからの国費留学生は8名であった。
-
政府間の文化交流活動(各種留学・研修・招聘事業)の他,日本ブータン友好協会(1981年1月設立)及び神戸ブータン友好協会(1981年1月設立)等が友好親善と文化交流の促進に努めている。